「わからない問題がすぐに聞ける環境」というものを勘違いしてはいけない。

こんな塾だ

わからない問題あればすぐに聞きたい。

 

そういう環境がほしい

 

そんな環境が「塾」という環境だ。

 

分からない問題はすぐ聞けると言われて

 

「いいじゃん!!」って思うかもしれない。

 

 

 

でも

 

そういう環境を勘違いしている人がほとんどだ。

 

分からない問題を教えてもらって、分かったとしても自分の力には一ミリもならない。

 

成績が上がるとき=能動的に行動したとき

 

であって

 

決して

 

成績が上がるとき=教えてもらった時

 

ではないからである。

 

 

 

過去の生徒を見ても

 

初手の

 

「分かりません」

 

これはだいたい

 

【計算ミス、問題をしっかり読んでない】

 

ということが多いんだ。

 

 

 

二手目の「分かりません」

 

これは

 

解説をしっかり読んでいない、ちゃんと調べていない。

 

ということがほとんど。

 

 

だから、もう一回ちゃんと見てみ

 

というと「あ、見てなかった、」「計算ミスしとった」というものが多い。

  

 

 

この二手目までの「分かりません」を聞いて教えてもらってもなにも変わらない

 

これまでの「分かりません」にしっかり答えてくれる環境にどれだけいても意味がない。

 

 

価値がある「分かりません」というのは

 

計算をやり直し、問題文を正しく理解し、解説をしっかり読み、自分で調べ、考え、悩み、

それでも

「分かりません」

 

この状況の「分かりません」が聞ける環境が大切なんだ。

 

 

つまり、

どこまで理解して、どういう部分が理解できないかを言語化できない「分かりません」

 

を聞ける環境なんて

 

「分からない問題をすぐ聞ける環境」だったとしても意味がないんだ。

 

 

 

 

 

 

だから、勘違いしてはいけない。

 

 

 

 

 

 

「分からない問題がすぐに聞ける環境」

 

 

 

 

というものを。