映像授業は使い方を間違えると、とてつもない害悪になってしまう。

中学生へ伝えたい

 

今のこの世の中には

教育の動画コンテンツがたくさんあふれている

 

お金

税金

保険

 

受験の5教科の知識の

数学

理科

社会

英語

国語

 

調べれば大量に出てくる

 

しかも無料で学べる

 

そういった動画コンテンツ

 

なんとも便利な時代なんだ

 

今の小中高生はなんとも便利な時代に生まれたことか

 

それだけ便利な

動画コンテンツ

 

映像授業だ

 

しかし

これは使い方次第で「善」にも「悪」にもなる。

 

 

僕にとって映像授業の在り方は

 

あくまでも

 

 

 

 

自分の勉強の補助

 

だと思っている。

 

塾での授業時間が映像をみるだけ

最初は数学の授業みて

次に英語の授業をみて

 

これを聞き流しているだけなら

まったく意味がない

 

まず考えてほしいんだけど

 

動画を見て、勉強しようと思うときって

 

自分の参考書を使って勉強していて分からないことが出てきて

解説読んでも分からなくて

 

じゃあ、ちょっと調べて見よう

って思うわけだよね?

 

つまり

動画学習っていうのは

 

能動的に行われるものなんだ

 

 

にもかかわらず

 

塾に来て

まずこの授業動画見て

その後演習して

次にこの授業動画見て

その後演習して

 

授業を100%

目で聞いて

学ぼうという意思の子にとっては

「善」のコンテンツになっているが

 

ただ、聞き流しているだけの子にとって

受験までの大切な時間を溶かしている

「悪」のコンテンツにすぎない

 

 

中学生よ

高校生よ

 

いいか?

 

 

世の中には

目を惹くような参考書

目を惹くような動画コンテンツ

分かりやすい先生

いつでも使える塾の自習室

 

なんてものが存在するが

 

 

そんなんはあくまでも

 

 

自分の勉強のため道具にしかすぎない

 

 

からね?

 

道具だから

使わなかったら意味がない

使わなかったらうまく使えるようにならない

 

どれだけ、切れ味の良い包丁を持っていても

使わなかったら料理できるようにはならない。

切れ味の良い包丁を持っているからと言って、料理ができるようになるわけがない。

 

 

すべては自分の補助道具だから。

 

参考書を買う

塾に行く

先生が分かりやすい

映像授業がある

 

が、しかし

 

 

結局のところ

 

 

 

 

 

 

 

君はそれを使って上手くなろうとする意思はあるのか?

 

 

 

ここだけ。